渋沢栄一も訪れた幕末の大坂・徳川慶喜が拠点とした幕末の大坂城

 

現在、NHK大河ドラマでは渋沢栄一の生涯を描いた「青天を衝け」が放送されています。

 

渋沢栄一は多くの企業と社会公共事業に関わり、その功績から「日本資本主義の父」などと呼ばれていますが、幕末期には「尊王攘夷」の志を抱いていました。横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画を立てたこともありましたが、その後尊王攘夷運動が失速し志士活動に行き詰まった栄一は、付き合いのあった一橋家家臣・平岡円四郎の推挙で、のちに徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜に仕官します。

 

一方その頃の大坂や大坂城はどうだったのでしょうか。

 

大坂城は、寛永6年(1629)に徳川幕府による再築が完了して以降、幕府による西国支配の拠点としての役割を果たしてきました。幕末になると、幕府は大坂城の重要性を改めて見直し、14代将軍徳川家茂、続いて15代将軍徳川慶喜が何度も訪れ、活発な政治活動を繰り広げました。慶応3年(1867)10月の大政奉還、12月の王政復古で政治の主導権を失った慶喜は、巻き返しをはかるべく大坂城に入城し、翌年1月軍勢を京都に差し向けました。しかし旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いで敗北して、慶喜は大坂城を脱出します。この時「徳川大坂城」は大火により建物の大半が失われました。

 

こうした幕末の大坂や大坂城については、大阪城天守閣が発行したいくつかの図録で詳しく紹介しています。

 

在りし日の大坂城の姿の写真をたくさん掲載した特別展『幕末大坂城と徳川将軍』。

 

特別展『幕末・維新の人とことば』では、激動の時代に活躍した人物の書を取り上げました。

 

 

また緊張感漂う幕末ですが、そんな中でも人々の暮らしがあり、年中行事が盛大に行われ、人々は憩いを求めて行楽に出かけました。
今回新たに刊行したこのテーマ展の図録では、そうした「もう一つの幕末」をご覧いただけます。

 

 図録は、通信頒布オンラインショップでもご購入いただけます。

 

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