3階・4階 大坂の陣400年記念 テーマ展「大坂城戦史」
高麗橋擬宝珠

鉄製高麗橋擬宝珠

 

 

大阪城は、時代の変わり目ごとに戦いの舞台になりました。戦国時代この地で隆盛を誇った本願寺は「石山合戦」とよばれる織田信長との長く激しい抗争を繰り広げ、本願寺の跡地に豊臣秀吉が築いた大坂城は、今からちょうど400年前に起きた大坂夏の陣で徳川軍の猛攻を受け、落城の憂き目を見ています。数年後、徳川幕府は大坂城を再び築き直し、以後この城は幕府による全国支配の拠点としての役割を果たしましたが、その徳川大坂城も明治維新の内戦「戊辰戦争」で、幕府滅亡とともに炎に包まれました。

 

大坂城が何度も戦火に見舞われたのは、常にここが要地であり続け、権力者にとって魅力だったからといえます。今回の展覧会では大坂城を舞台とした三つの主要な戦い「石山合戦」「大坂の陣」「戊辰戦争」に注目し、それぞれが日本史上どのような意味を持っていたのか、城はどんな運命をたどったのか、人々はどのように戦い、どのような思いで城を見つめたのかを探りたいと思います。

 

 

大坂城を舞台とした3つの主要な戦い

■石山合戦(1570~1580)

15世紀から16世紀にかけての戦国時代、浄土真宗本願寺派は広く庶民の心をつかんで教線をのばした。他の宗派や戦国大名、朝廷などと戦闘や駆け引きを繰り返しながら実力をたくわえた本願寺は、今の大阪城の地を拠点とし、寺は「摂州第一の名城」ともよばれた。本願寺は国内平定をめざす織田信長への服従をこばみ、元亀元年(1570)から10年ものあいだ激しい戦いをくり広げる。戦いを通じて信長は、大坂という土地の重要性を痛感した。

 

■大坂の陣(1614~1615)

天下統一を果たした豊臣秀吉が居城とした大坂城は、秀吉が没すると後継者である遺児秀頼が引き継いだ。いっぽう秀吉没後の豊臣政権は激しく動揺し、その中から実力者である徳川家康が抜け出し、独自の政権を樹立する。家康は次第に秀頼への圧迫と挑発を強め、慶長19年(1614)にはついに両者の関係が破綻し大坂冬の陣が起きた。大坂城は徳川方の大軍による包囲に耐えぬいたが、翌慶長20年に起きた夏の陣で落城。豊臣家は滅亡した。

 

 

■戊辰戦争(1868)

大坂の陣後、大坂城は徳川将軍の城として築き直され、幕府による西国支配の拠点とされた。幕末には14代将軍家茂がここで長州戦争の指揮を取り、最後の将軍慶喜はここを欧米列強との交渉の場とした。倒幕勢力により京都で新政権が発足すると、大坂城の慶喜は主導権奪還をめざし軍勢をさしむける。戦いは慶応4年(1868)1月3日に始まり、数日後に慶喜は城を脱出した。まもなく大坂城は炎に包まれ、人々に幕府の終焉を印象づけた。

 

 

◆主な展示品

十二間(じゅうにけん)椎形(しいなり)(かぶと) 銘 春田(はるた)勝光(かつみつ)作   〈大阪・真宗寺蔵〉

 

(かたな) 銘 正廣(まさひろ)(さく) 助宗止作(すけむねとめさく)九鬼嘉隆帯之(くきよしたかこれをたいす)   ()()()()()和歌山・九鬼家蔵〉

  ※九鬼家の「鬼」は、本来上部の「ノ」がつかない字が用いられる。

 

豊臣秀頼とよとみひでより黒印こくいん禁制きんぜい 慶長20年5月4日付 泉州まきのお寺宛 〈大阪・施福寺蔵〉

 

鉄製(てつせい)高麗(こうらい)(ばし)擬宝珠(ぎぼし)   ()()()()  〈大阪城天守閣蔵〉

 

『絵入りロンドンニュース』より 大坂城におけるパークスと徳川慶喜の会見    〈大阪城天守閣蔵〉

 

錦絵『徳川治蹟年間紀事』の内 十五代徳川慶喜公    〈大阪城天守閣蔵〉

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01 十二間椎形兜(大阪・真宗寺蔵、出品番号14)

↑十二間椎形兜 銘 春田勝光作

 

02左 刀 銘正廣作 助宗止作/九鬼嘉隆帯之(和歌山・九鬼家蔵、出品番号29)02右 刀 銘正廣作 助宗止作/九鬼嘉隆帯之(和歌山・九鬼家蔵、出品番号29)

↑刀 銘 正廣作 助宗止作/九鬼嘉隆帯之

 

3_豊臣秀頼黒印禁制

↑豊臣秀頼黒印禁制 慶長20年5月4日付 泉州まきのお寺宛

 

5_絵入りロンドンニュース

↑『絵入りロンドンニュース』より 大坂城におけるパークスと徳川慶喜の会見

 

06 錦絵『徳川治蹟年間紀事』の内 十五代徳川慶喜公(大阪城天守閣蔵、出品番号96)

↑錦絵『徳川治蹟年間紀事』の内 十五代徳川慶喜公

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開催日時 平成27年10月10日(土)~11月23日(月・祝)
開催場所 大阪城天守閣 3階・4階展示室

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