特別展 「幕末・維新の人とことば」の詳細が決まりました
特別展 幕末・維新の人とことば チラシ

大阪城天守閣では、平成30年10月6日(土曜日)から11月25日(日曜日)まで、天守閣内3・4階展示室において「特別展 幕末・維新の人とことば」を開催(平成30年8月31日報道発表済)するにあたり、本展の詳細が決まりましたのでお知らせいたします。

昨年と今年は、徳川慶喜による大政奉還の表明、王政復古の大号令による新政府発足、新政府軍と旧幕府軍による内戦「戊辰戦争」の勃発という、明治維新の一連の大変革からちょうど150年にあたります。そこで本展では、この激動の時代に活躍した人物を取り上げ、残された書や手紙などを手がかりに、彼らの人間像に迫りたいと思います。

 

【開催概要】

社会の行きづまりが深刻化し、人々が欧米の脅威を肌で感じた幕末、危険をかえりみず権力に立ち向かった志士たちは、自身の思いを吐露する多くの書を残しました。薩摩藩や長州藩の実力者をはじめとする維新の立役者や新政府の担い手、混沌とした政治情勢の中で苦闘した幕府方の人々、発言力を強める公家たち、また世の中の転変を冷静に見据えた知識人たちも、ときどきの心境を筆先に込めています。そこには新しい世が切り開かれる興奮や喜びだけでなく、悲しみ、悩み、戸惑いなどといった心の奥をのぞかせる内容も数多く含まれています。

幕末・維新という時代の大きなうねりの中で人々は懸命に生きましたが、そこにはさまざまな思いが交錯していました。本展を通じて彼らのことばに耳を傾けつつ、150年前の日本に思いをはせていただけたら幸いです。

 

特別展 幕末・維新の人とことば

1 名称         特別展 幕末・維新の人とことば

2 会期         平成30年10月6日(土曜日)から11月25日(日曜日)まで

                 ※51日間

3 時間         9時から17時まで ※入館は閉館の30分前まで

4 主催         大阪城天守閣

5 会場         大阪城天守閣3・4階展示室

                  〒540-0002 大阪市中央区大阪城1-1

                  電話:06-6941-3044  ファックス:06-6941-2197

                  ホームページ:https://www.osakacastle.net/

6 入館料       大人600円 中学生以下、大阪市在住65歳以上の方(要証明)、障がい者手帳等ご持参の方は無料

                   ※この特別展は大阪城天守閣の平常入館料でご覧いただけます。

7 出品点数     85点(別紙出品目録のとおり)

8 主要展示品   別紙のとおり

 

「特別展 幕末・維新の人とことば」出品目録

 

 

主要展示品解説   

1 西郷隆盛詩文     大阪城天守閣蔵

【西郷隆盛(1827~1877)】

薩摩藩主島津斉彬の側近として頭角をあらわし、同藩を代表して長州藩と同盟を結び討幕を実現した。明治維新後は政権抗争に敗れて国元に帰り、西南戦争に敗れて自害した。

 

 西郷隆盛の七言絶句で、「世上の悪評や称賛の軽さはまるで(ちり)のようだ。目の前の出来事は偽りなのか、本当なのか。思い出すのは孤島で過ごした幽囚の頃の楽しみ。そこには今人はおらず、古人だけがいた」と詠んでいる。

 西郷は倒幕を果したことで自らの役割は終えたと自覚し、戊辰戦争での奥羽平定を見届けて明治元年(1868)11月に薩摩に戻った。明治4年乞われて中央政府に復帰したが、同6年政府の方針をめぐってかつての盟友大久保利通と対立し、薩摩に帰った。

 西郷は、彼を重用した薩摩藩主島津(なり)(あきら)亡き後、安政6年(1859)に(あま)()大島(おおしま)、一旦召還されたものの、文久2年(1862)には徳之島(とくのしま)、さらに(おきの)()()()(じま)流刑(るけい)となった。

 しかし、この漢詩では「孤島」で過ごした辛く厳しい「幽囚(ゆうしゅう)」生活さえも楽しかったと懐しみ、理想に燃え、新しい世を創るべく奔走した志士たちを「古人」と呼んで、偽りが多く利己的な「今人」ばかりの世になったことを嘆いている。

 西郷隆盛詩文(大阪城天守閣蔵) 

世上毀誉軽似塵 眼前百事偽耶真 

追思孤島幽囚楽 不在今人在古人  

南洲

 

 

2 重要文化財 富士図(江川太郎左衛門英龍自画賛)     静岡・江川文庫蔵

【江川太郎左衛門(英龍、1801~1855)】

江川家は伊豆韮山(にらやま)を本拠とする江戸幕府の世襲代官で、代々「太郎左衛門」を称した。幕末の当主英龍は海防政策の必要性を唱え、多くの門人に西洋流砲術を教えた。

 

 箱根付近の山中から見た富士山を描き、「さと((里))はまだ 夜深し富士の あさひ影」の句を添える。ふもとは夜中だが、すでに山頂には朝日があたっている、という意味である。絵も句も江川太郎左衛門の作。

 江川は相次ぐ外国船出没による危機感から海防の強化を主張し、砲術をはじめとする西洋の進んだ技術の導入に取り組んだ。これは老中水野忠邦の支援を得て幕政にも反映されたが、保守派の攻撃によって同志を次々と失い、水野が失脚した天保14年(1843)以後、忍従を余儀なくされる。本品はこの時期、眠り続ける世の中への嘆きをこめて作ったとされる。

 だが彼はあきらめていない。時が経てば必ず里にも日が当たることを知っているからである。

重要文化財 富士図(江川太郎左衛門英龍自画賛)

 

 

3 勝海舟詩文     大阪城天守閣蔵

【勝海舟(1823~1899)】

幕府旗本。蘭学・兵学を身につけ、開国後の幕府海軍創設に携わった。戊辰戦争では徳川家の存続に奔走し、旧幕臣たちの暴発阻止をはかりつつ江戸を新政府に引き渡した。

 

 勝海舟が明治元年(1868)に作った漢詩。彼は同32年に77年の長寿を全うするまでこの旧作を何度か揮毫したが、本品もその一つである。

 明治元年4月、勝は幕府方を代表して新政府軍(官軍)代表の西郷隆盛との交渉にのぞみ、官軍による江戸総攻撃を中止させた。しかし旧幕府兵の中には官軍との決戦を望むものも多く、彼は背後から命を狙われる危険にさらされた。

 この詩で彼は「壮士が死をかえりみずに決戦にのぞむことを誰が責められようか」と旧幕府兵に同情する。だが「多くの人々を救って天子(天皇)に答えるのだ」と、内戦を避けることこそが国を思う尊王の志なのだ、と言い聞かせている。

勝海舟詩文

壮士決戦不顧死 此際豈亦容

毀訾 錦旗飜風函嶺巓 満

城殺気紊綱紀 丈夫報恩他

有需 救此蒼生答天子

慶応戊辰之旧作 海舟散人

 

 

4 重要文化財 茶湯一会集     滋賀・彦根城博物館蔵

【井伊直弼(1815~1860)】

近江彦根藩主。大老として日米修好通商条約の調印、将軍後継者問題の解決にあたり、反対派に弾圧を加えた(安政の大獄)。万延元年に暗殺される(桜田門外の変)。

 

 井伊家の14男として生まれ、本来家督を継ぐ立場になかった井伊直弼は、若年のころから禅や和歌、兵学などさまざまな学問・芸能に没頭した。茶の湯は直弼が取り組んだ諸芸の中でもっとも重要なものであり、本品は直弼が安政4年(1857)にみずからの茶の湯の世界を体系化した茶書とされる。この中で直弼は、千利休(せんのりきゅう)の教えに基づく「一期一会(いちごいちえ)」という言葉を強調して世に知らしめ、亭主と客が一度きりの機会としてその日の茶会をともにし、深い精神的交流を持つという理想的な茶の湯のあり方を示している。

重要文化財 茶湯一会集

茶湯一会集

此書者茶湯一会之始終、主客の心得を委敷

あらはす也。故に題号を一会集といふ。猶一会ニ深き

主意あり。抑茶湯の交会者一期一会といひて、

たとへハ幾度おなし主客交会するとも、今日の

会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実ニ我一世一度の

会也。(以下略)

 

 

5 徳川慶喜書     静岡・久能山東照宮博物館蔵

【徳川慶喜(1837~1913)】

徳川斉昭の子で徳川家茂の死を受け15代将軍となる。幕政改革を推進したが、慶応3年(1867)に大政奉還を行い、翌年の戊辰戦争に敗れて実権を失い、幕府は滅亡した。

 

 明治元年(1868)正月、鳥羽・伏見の戦いの敗報を聞いた徳川慶喜は、当時拠点としていた大坂城を脱出し、江戸へ舞い戻って新政府に対する恭順(きょうじゅん)の態度に徹した。その後は水戸や駿府で謹慎し、静岡(駿府改め)に定住している。

 32歳にして政治の表舞台から退き、77歳で没するまで、慶喜は狩猟・写真・絵画・弓・自転車などさまざまなものに関心を示し、没頭した。青年期は政治に忙殺されたが、一方で引退後は趣味に忙しかった。「静」と大書したこの時期の作とされる本品は、穏やかながら充実した気分を醸し出しているようである。

徳川慶喜書

 

 

6 福沢諭吉書     東京・慶應義塾福澤研究センター蔵

【福沢諭吉(1834~1901)】

明治年間を代表する教育者・啓蒙思想家。緒方洪庵の適塾で学び、のちに英語を習得。欧米の先進的な思想の紹介を通じ、国家や個人の自立を唱えた。慶應義塾の創設者。

 

 西暦1900(明治33)年の大みそかから、福沢が創設した慶應義塾では「世紀送迎会」のイベントが開かれた。新世紀を迎えた元旦、数え68歳になった福沢は「独立自尊迎新世紀」の文字を揮毫(きごう)した。

 独立した個人で構成される日本国が国際社会のなかで独立を保つ、というのが福沢が一貫して追求したテーマだった。明治6年に『学問のすすめ』で「一身独立して一国独立すること」を唱えた福沢は、同33年『修身要領』では処世の根本理念として、「独立自尊」という標語を立てた。そのなかで福沢は、他人の権利幸福を尊重して自他の独立自尊をはかることを説いた。外国人に対しても同様で、「(ひと)(みずか)ら尊大にして他国人を蔑視するは独立自尊の旨に反する」と注意した。

福沢諭吉書

 

開催日時 平成30年10月6日(土)~11月25日(日)
開催場所 大阪城天守閣 3・4階展示室

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