大坂の陣400年記念特別展「豊臣と徳川」
鉄二枚胴具足

鉄二枚胴具足 

今から400年前、大坂夏の陣で大坂城は徳川軍に攻め落とされ、豊臣家は滅亡しました。豊臣と徳川の最終決戦にいたるまでには、秀吉生前以来の長く、複雑な両家の関係史が存在します。本展ではそうした歴史に目くばりしつつ、多彩な関連資料によって大坂の陣の意義をさぐります。

 

大坂冬の陣の講和交渉の結果、堀を埋め立てられ、はだか城にされてしまった大坂城が、ふたたび徳川軍の攻撃をうけ、燃えさかる炎に包まれて落城したのはちょうど400年前、慶長20年(1615)5月7日のことでした。翌8日に豊臣秀頼と淀殿は城内の山里丸で自害。豊臣家は滅び、ようやく徳川幕府の支配体制が固まります。大坂落城は日本史上、まことに重大な事件でした。

 

 

では、豊臣・徳川両家は対戦するしかなかったのでしょうか。共存は不可能で、豊臣家は滅亡するしかなかったのでしょうか。なぜ徳川家はそれほどの実力をたくわえたのでしょうか。

 

豊臣と徳川の最終決戦にいたるまでには、秀吉生前以来の長く、複雑な両家の関係史が存在します。その過程では、徳川家が豊臣政権下での安泰を望んだ時期もあれば、豊臣家が徳川政権下で存続する可能性を模索した時期もありました。両家がずっと対立していたわけではありませんし、一直線に対決へと進んでいったわけでもありません。豊臣家にとって、日本の歴史にとって、別の未来もありえたのではないでしょうか。

 

 

本展では両家の関係史に目くばりしつつ、多彩な関連資料によって大坂の陣の意義をさぐります。大坂の陣400年というこの機会に、日本史転換の舞台となったこの大阪城で、歴史の奥深さ、おもしろさを感じていただければ幸いです。

 

◆おもな展示品

・鉄二枚胴具足

・重要文化財 大坂夏の陣図屏風

開催日時 平成27年3月21日(土・祝)~5月10日(日)
開催場所 大阪城天守閣 3階・4階展示室

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