真田信繁(幸村)自筆書状を特別公開します

真田信繁(幸村)自筆書状(部分)〈個人蔵〉小サイズ

 令和元年7月19日(金)から実施する「夏の展示 戦国の群像~秀吉をとりまく人々~」で、真田信繁(幸村)の自筆書状を特別公開します。

 大坂の陣で豊臣方として活躍した真田信繁(幸村)は関ケ原合戦後、大坂城に入るまで紀州九度山(くどやま)で幽閉生活を送っていました。本品は信繁が義兄の小山田茂誠(おやまだしげまさ)に宛てた九度山時代末期の書状です。幽閉10年以上、40代半ばとなった信繁は、新春の祝儀に鮭を贈られたことを喜び、気遣いに感謝するとともに、「歯も抜け髭も白くなった」「もう会えないかもしれない」などと、老い衰えゆく心細さを訴えています。

名称:企画展示 夏の展示 戦国の群像~秀吉をとりまく人々~

開催期間:令和元年7月19日(金)~令和元年10月9日(水)

開催場所:大阪城天守閣3階展示室

 

真田信繁(幸村)自筆書状(部分)〈個人蔵〉小サイズ

真田信繁(幸村)自筆書状(部分)〈個人蔵〉

 

 

(釈文)

返々おほしめし((思召))より御飛札忝候。久々か様之住居ニて候へ者、何かたよりも見舞便状ニもあつか((預))り候ハんとも不存候。御手前なと御心中更々可有御等閑とも不存候。神そ々々其分ニ候。切々人ヲ御越候儀御無用にて候。御用之事も候ハヽ無隔心可申入候。兎角々々年之より申候事口惜候。我々なとも去年より俄ニとしより、事之外病者ニ成申候。((歯))なともぬけ申候。ひけ((髭))なともくろきハあまり無之候。今一度遂面上度存候、以上。

遠路預御飛札候。如仰、当春御慶不可有尽期候。仍為御祝儀鮭二尺被懸御意候。忝次第候。乍去其許万方御手透も有間敷処、御隔心之至、却而迷惑いたし候。然者其方何も相替儀無御座候由、市右物語具承致満足候。此方ニおゐても無事ニ御座候。うそかちけたる躰、市右物語可被申候間、委申入候ニも不及候。もはや懸御目候事有間敷候哉。いつも/\申くらし候。猶市右可被申候。恐々謹言。

  二月八日     真好白

  壱岐守殿       信繁(花押)

     御報

 

(現代語訳)

 

遠路のお便りありがとうございます。貴殿同様、新春の慶賀を久しく申し納めます。お祝いとして鮭を二匹いただきました。かたじけなく思います。大変お忙しいのにお気遣いいただき、かえって恐縮です。お変わりないとのこと、市右衛門からつぶさに聞き、うれしく思います。こちらも無事です。私の衰えた様子は市右衛門が話すでしょうから、詳しくは書きません。もうお会いすることはないのではと、いつも話して暮らしています。詳細は市右衛門が伝えます。

あらためて、お手紙かたじけなく思います。久しくこのような所に住んでいるので、どなたからも見舞状をもらえるとは思っていません。貴殿が私のことをおろそかにおもっているとも思っていません。神かけて本当です。頻繁に使者をよこすには及びません。用があればこちらから遠慮なく言います。とかく年をとるのは口惜しいものです。私は去年から急に老け込み、ことのほか病気がちになりました。歯も抜けました。髭も黒い部分があまりなくなりました。もう一度お会いしたいです。

                          二月八日     真好白

  壱岐守殿       信繁(花押)

     御報

 

開催日時 令和元年7月19日(金)~10月9日(水)
開催場所 大阪城天守閣 3階展示室

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