大阪城天守閣
九十年の歴史

天守閣の無い時代

『大阪行幸記念空中写真帖』より「大阪城」 個人蔵

『大阪行幸記念空中写真帖』は、朝日新聞社の社機から撮影した大阪各所の写真帖で、昭和四年(一九二九)六月十五日に同社から発行された。 この中に大阪城の本丸を南西方面から俯轍した写真が含まれ、公園建設に着手する前夜の大阪城の様子がわかる。 左端が天守台。その手前の本丸はもとより、周囲の二の丸にも軍関係の建物がひしめく。

復興へ

大阪城天守閣新築設計図 側面矩計図

昭和三年(一九二八)当時の市長、関一(せき・はじめ)が天守閣復興を提案。議会の賛同を得て推進委員会が設置されると、市民から寄付の申し込みが殺到し、わずか半年で目標額百五十万円に達した。大戦へ向かう重苦しい時代の中、天守閣復興事業は大阪市民の熱狂的な支持を得た。

復元設計に中心的役割を果たした古川重春氏(古川禎一氏提供写真より)

再建

古写真 大阪城天守閣の建設工事

当時、豊臣時代大天守の資料はきわめて乏しく、設計にあたっては「大坂夏の陣図屏風」(現在大阪城天守閣蔵、重要文化財)を拠り所に、各地の古建造物の調査によって細部の資料を集めるなど苦労が重ねられた。また、復興天守閣を永久的なモニュメントとするため、当時としては最新の建築工法である鉄骨鉄筋コンクリート造りとされた。設計には多くの困難があったが工事は順調に進められ、昭和六年(一九三一)十一月七日、歴史上三代目の大阪城天守閣が竣功した。近代建築による復興天守閣の第一号であると同時に、内部を大阪府下で唯一の郷土歴史資料館として利用するという発想も独創的だった。

基礎工事
鉄骨組み上げ
足場の撤去

昭和六年十一月七日開館

古写真 復興直後の大阪城天守閣

大阪城天守閣の竣功記念式典は昭和六年(一九三一)十一月七日に行われた。十五日までは寄付者や来賓などの招待客、事前申し込みの団体を対象に公開され、十六日から一般公開が始まった。そのころの様子を第四師団司令部庁舎の屋上から撮影したのがこの写真である。八階展望台、天守閣に向かう階段、本丸はいずれも観覧者でにぎわっている。

大阪城新公園之図

天守閣復興と同時に開園した大阪城公園のイラスト風案内図。眺望の良い石垣の角の休憩所、山里丸の噴水や藤棚、貯水池脇の桜並木、紀州御殿西側の日本庭園など、本丸は市民の憩う文化的空間に生まれ変わった。竣功当時の大阪市の発表によると、天守閣建設費は四十七万千四百九円、公園整備費は二十六万千五百円だった。寄付金百五十万円のうち、残り半額以上は第四師団司令部庁舎の新築費にあてられた。

昭和の激動を
くぐりぬけた天守閣

古写真 近畿防空演習 機関銃隊の猛撃

国民の国防意識高揚を目的として、昭和九年(一九三四)七月二十六日から三日間にわたり近畿防空演習が実施された。この写真は第四師団司令部庁舎の屋上から機関銃で敵機を打ち落とす訓練の様子を撮影したもの。演習のいくつかの場面をまとめた写真集の中の一枚で、記念品として販売されたのだろう。

手前の門と奥に写る櫓(伏見櫓)。いずれも空襲によって焼失した。

多くの軍事施設をかかえる大阪城は、先の大戦の戦禍を免れえず、特に昭和二十年(一九四五)の空襲では、京橋口多聞櫓をはじめ、二番・三番・伏見・坤の四櫓などを焼失した。終戦後、三年近く占領していた米軍から大阪城地が返還されて以来、大阪市当局により市民のための大阪城公園整備の努力が続けられた。破損した石垣の修復、戦災に加えて昭和二十五年(一九五〇)のジェーン台風で甚大な被害を受けた城内の古建造物の修復など、戦後の復興においては募金活動をはじめとする官民挙げての取り組みがなされた。その後も今日まで修復事業が継続され、大阪城は都心の真ん中の広大な史跡公園として整備されている。

昭和二十八年、空襲や台風による大阪城の被害を紹介し、保護を訴えた大阪城修復委員会作成のパンフレット

平成の大改修

大阪のシンボルたる大阪城を、さらに美しく、さらに丈夫に。 再び時代の最新工法と技術を駆使して黄金の輝く天守閣が甦った。

いずれも登野城弘氏撮影

復興天守閣も六十数年の歳月を経て老朽化が進み、平成七年から九年(一九九五~一九九七)にかけて大規模な改修工事が行われた。昭和六年(一九三一)建設当時の姿を甦らせて二十一世紀に残すことを基本指針とし、耐震性向上のための構造補強、銅板瓦約五万五千枚の葺き直しをはじめとする外観回復、博物館施設としての充実、バリアフリー化をはじめとする利用者の快適性向上がなされた。

関連年表

和暦西暦
事項
大正131924
7月 大阪市、大阪城外堀沿いの軍用地の一部を借りて大手前公園を開設する。
大正141925
3月15日 大大阪記念博覧会が開催され、大阪城天守台に「豊公館」が設けられる(4月30日まで)。
昭和31928
7月 大阪市、天守閣復興を含む大阪城新公園計画を発表する(8月寄付募集開始)。
10月18日 陸軍より大阪城内の公園敷地貸付が許可される。
昭和41929
2月8日 大阪城公園計画が正式決定される。
4月24日 天守閣の建築工事を大林組が受注する。
6月6~7日 昭和天皇が大阪に行幸する。
6月20日 大阪城公園の工事が開始される。
昭和51930
5月6日 天守閣建築工事の地鎮祭が行われ、工事が開始される。
5月18日 天守閣基礎工事の設計変更により工事が休止される。
9月28日 天守台へのコンクリート打ちが開始される。
12月17日 天守閣鉄骨柱の立柱が行われる。
昭和61931
3月22日 本丸に陸軍第四師団司令部新庁舎が落成する。
4月24日 天守閣の上棟式が挙行される。
8月30日 天守閣大棟に鯱が設置される。
9月30日 天守閣上層鶴の蒔絵の張上が完了する。
10月30日 天守閣の建築工事が完了する。
10月31日 大阪城公園工事が完了する。
11月7日 大阪城公園ならびに大阪城天守閣の竣功記念式典が挙行される。天守閣にて「豊公特別展」が開催される(12月16日まで)。
11月16日 天守閣の一般公開が開始される。
昭和71932
4月21日 城東線の高架改築工事にともない森ノ宮駅が開業する。
11月7日 陸軍特別大演習が実施され、第四師団司令部庁舎が大本営となる。
11月16日 昭和天皇が天守閣に入場する。 
昭和81933
9月1日 大阪城天守閣にて夜間開館が実施される(30日まで)。
11月2日 大阪商工祭が開催される(4日まで、3日に豊公入城列)。
11月27日 紀州御殿が天臨閣と改称される。
昭和91934
7月26日 近畿防空演習が実施される。
昭和111936
10月30日 大手前広場に教育塔が建立される。
昭和121937
6月 外堀渇水のため堀底の浚渫と給水が行われる(翌年まで)。
8月1日 中部防衛司令部が本丸内の第四師団司令部庁舎に置かれる。
11月3日 改正軍機保護法により、大阪城内での撮影と大阪城を背景とする撮影が禁止される。
昭和141939
3月 陸軍造兵廠大阪工廠の敷地が拡張され、城東練兵場跡が工廠内に組み込まれる。
昭和151940
3月 大阪城内でのカメラ使用制限が強化され、大手門衛兵所での一時預りとなる。
3月10日 陸軍、大阪市から返還された山里丸に大阪国防館を設置する。
4月 陸軍造兵廠大阪工廠が大阪陸軍造兵廠と改称する。
8月1日 兵制改正により中部防衛司令部が中部軍司令部となり第四師団司令部庁舎に入る。第四師団司令部は二の丸に移転する。
12月21日 陸軍、軍事機密保護を目的として天守閣展望台に目隠しをする。
12月 内堀の内、空堀が野菜畑となる。 
昭和161941
6月14日 大阪城天守閣の所管が土木部から総動員部に変更される。
昭和171942
4月28日 大阪城天守閣にて「大東亜への回想 豊公大展覧会」が開催される(5月17日まで)。
6月11日 大阪城天守閣の所管が市民局に変更される。
9月25日 この日より大阪城天守閣への入場が禁止される。
昭和181943
3月 大阪城天守閣寄託資料の一部返却が行われる。
昭和191944
この年 大阪城空堀から南に向けて防空壕が作られる。
昭和201945
1月 本丸内に防空壕が作られる。
2月21日 兵制改正により第十五方面軍が編成され、中部軍司令部にかわり中部軍管区司令部が設置される。両司令官は兼任し、ともに中部軍司令部元庁舎を司令部とする。
6月26日・7月24日 大阪城が空襲の被害を受ける。
8月14日 空襲により大阪陸軍造兵廠が壊滅する。
8月15日 終戦。
9月11日 大阪城天守閣の所管が教育局に変更される。
9月29日 米軍が大阪城を接収する。
昭和221947
9月12日 紀州御殿が焼失する。
昭和231948
2月16日 大阪陸軍造兵廠の撤去が開始される。
3月19日 本丸内の旧中部軍司令部庁舎の接収が解除される。
4月1日 大阪城公園の供用が一部再開される。
4月17日 旧中部軍司令部庁舎に大阪市警察本部が置かれる(昭和24年9月より大阪市警視庁、昭和30年7月より大阪府警察本部)。
8月25日 米軍による大阪城の接収が解除される。
10月1日 大阪城天守閣の所管が経済局に変更される。
昭和241949
1月21日 大阪城内に大阪市警察学校が開設される(3月射撃場開設)。
4月1日 大阪市制60周年を記念し3日間の天守閣無料公開が実施される。
4月21日 大阪市警主催の「警察展」が天守閣を会場に開催される(6月26日まで)。
7月14日 大阪市が大阪城天守閣条例を制定する。
7月20日 天守閣の一般公開が再開される。
9月26日 大阪市、国に対する大阪城内の国有地払い下げ反対ならびに市への無償貸付要請の方針を決定する。
昭和251950
7月1日 大阪城天守閣内エレベーター1機の運転が再開される(昭和27年3月1日残り1機再開)。
9月3日 ジェーン台風により城内の古建造物や天守閣屋根瓦などが被災する。桜門左右塀が倒壊する。
昭和261951
4月6日 大阪城天守閣再建20周年記念「お城まつり」が天守閣内を会場に開催される(6月30日まで)。
昭和271952
3月15日 天守閣の夜間ライトアップが開始される。
3月 昭和26年度までの累計入場者数が1000万人を越える(10,256,525人)。
この年 大阪砲兵工廠敷地の接収が全て解除される。跡地の内、杉山地区(現在の森林公園一帯)の国有地が大阪市に無償貸与される。
昭和281953
3月11日 大阪城修復委員会が発足する。
3月31日 大阪城域一帯が国指定史跡となる(「史跡 大坂城跡」)。
5月18日 一番櫓・六番櫓の修復工事が開始される(12月8日完工)。
6月13日 大坂城内の13の古建造物が国指定重要文化財となる。
9月25日 台風により大手門北方塀が倒壊する。
9月30日 金明水井戸屋形の修復工事が開始される(10月25日完工)。
11月6日 乾櫓北側の石垣修復工事が開始される(翌年2月28日完工)。
12月25日 大手口多聞櫓・大手門・桜門の応急修理工事が開始される(翌年3月31日完工)。 
昭和291954
2月16日 大手門北方塀・南方塀の応急修理工事が開始される(3月31日完工)。
6月4日 大阪城修復委員会による(乾櫓をのぞく)古建造物・石垣の応急修理が全て完了する。
昭和301955
6月24日 大阪城域一帯が国指定特別史跡となる(「特別史跡 大坂城跡」)。
9月12日 乾櫓の解体修理工事が開始される(昭和34年3月31日完工)。
12月28日 大阪城天守閣が博物館相当施設に指定される。
昭和311956
7月1日 天守閣の夏季夜間開館が開始される。
7月 天守閣外装の修理(瓦・虎レリーフの青銅色塗装)ならびに内部展示室の改修が行われる(9月まで)。
10月31日 昭和天皇・皇后が大阪城を訪れ、天守閣に入場する。 
昭和321957
2月9日 天守閣2階「目でみる大阪の郷土歴史室」が公開される。
7月1日 天守閣の外部照明が白色灯から水銀灯に改修される(建築物照明としては大阪初)。
昭和331958
4月 大阪府警察本部移転にともない旧中部軍司令部庁舎が大阪市の管理下に置かれる。
4月26・27日 大阪国際芸術祭参加イベントの野外演劇「大坂城物語」が山里丸にて上演される。
10月4日 大阪祭協会・大阪読売新聞社主催にて「大阪祭」が開催される(26日まで、11日豊公入城行列)。
10月5日 大阪城天守閣にて開催の「三傑展」で、大坂夏の陣図屏風が初めて天守閣内で展示される(11月4日まで)。
12月1日 大阪城公園拡張工事が完成する(杉山地区南側)。
昭和341959
3月15日 大坂城総合学術調査が開始される。
8月1日 焔硝蔵・金蔵の解体修理工事が開始される(千貫櫓は昭和36年9月30日、焔硝蔵は昭和35年3月31日、金蔵は昭和35年12月31日完工)。
12月20日
本丸の地下から石垣が発見される(謎の石垣)。
昭和351960
1月 千貫櫓の解体修理工事が開始される(昭和36年9月30日完工)。
3月 昭和34年度までの累計入場者数が2000万人を越える(21,015,814人)。
12月1日 本丸内に大阪市立博物館が開館する(旧中部軍司令部庁舎、平成13年3月31日まで)。
昭和361961
1月18日 豊国神社が中之島から城内二の丸に仮遷座する。
4月25日 国鉄城東線が環状線となる。
昭和371962
1月4日 多聞櫓北方塀の解体修理工事が開始される(3月31日完工)。
11月1日 大阪市立博物館が全館開館する。
昭和381963
1月4日 二の丸に修道館が開館する。
11月1日 一番櫓の解体修理工事が開始される(昭和40年3月31日完工)。
昭和391964
3月 豊国神社の城内移転が完了する。
4月22日 大阪市が緑化100年宣言を行い、以後城内に植林が進められる。
昭和401965
3月 昭和39年度までの累計入場者数が3000万人を越える(30,520,067人)。
4月1日 六番櫓の解体修理工事が開始される(翌年9月30日完工)。
5月12日 西の丸庭園が開園する。
5月28日 全国城郭管理者協議会が発足し、大阪城天守閣は加盟城郭となる。
6月10日 極楽橋が架橋される。 
昭和411966
6月1日 大手門・同南方塀・同北方塀の解体修理工事が開始される(翌年3月31日完工)。
昭和421967
3月24日 地下鉄谷町線、東梅田から谷町4丁目まで開通する。
4月1日 大手口多聞櫓の解体修理工事が開始される(昭和44年9月30日完工)。
4月 万国博覧会関連事業として、杉山地区を中心とした3カ年の大阪城公園整備が開始される。
昭和431968
4月1日 桜門の解体修理が開始される(翌年4月1日左右塀復元着工、ともに翌年9月30日完工)。
8月6日 陸上自衛隊城南射撃場、機動隊庁舎等の撤去工事が開始される(昭和45年まで)。
昭和441969
4月1日 金明水井戸屋形の解体修理工事が開始される(9月30日まで)。
5月24日 杉山地区に森林公園が完成し、「市民の森」「記念樹の森」「太陽の広場」と命名される。
9月30日 城内古建造物の解体修理工事が全て完了する。
10月 青屋門が再建される。
昭和451970
3月1日 西の丸庭園の茶室「豊松庵」が松下幸之助氏から寄贈され披露される。
10月27日 大阪城公園の完成式が挙行される。
昭和461971
9月15日 大阪城天守閣復興40周年を記念して「大阪城写生展」が開催される(10月10日まで)。
10月10日 昭和34年発見の本丸地下「謎の石垣」が初めて一般公開される(11月7日まで)。
昭和471972
3月 昭和46年度までの累計入場者数が4000万人を越える(41,156,878人)。
昭和491974
3月2日 二の丸市正曲輪に大阪城梅林が開園する。
9月18日 大阪城公園内の太陽の広場にナイター設備付野球場が完成する。
昭和541979
4月1日 大阪城天守閣の住所が大阪市東区馬場町から大阪市東区大阪城1-1となる。
昭和551980
1月16日 天守台石垣の修復工事にともない天守閣が閉館となる(3月15日まで)。
昭和561981
3月 昭和55年度までの累計入場者数が5000万人を越える(51,086,349人)。
5月2日 旧大阪砲兵工廠本館が撤去される。
5月29日 西の丸庭園にて第1回大阪城薪能が行われる。
7月5日 小豆島の残念石が大阪城に搬入され、天守閣前に設置される。
昭和571982
5月15日 大阪城音楽堂がオープンする。
昭和581983
4月29日 長浜城と姉妹城提携を結ぶ。
9月29日 大阪城新橋が架橋される。
10月1日 大阪城公園を会場に「築城400年まつり 大阪城博覧会」が開催される(11月23日まで)。大阪城天守閣にて「大阪城400年の歴史展」が開催され、11月23日までの会期中入場者が103万5501人に達する。
大阪城ホールが完成する。大阪城公園駅が開業する。大阪水上バスが就航を開始し、大阪城港が開業する。
昭和591984
10月 本丸にて発掘調査が行われ、豊臣時代大坂城の詰の丸の石垣が発見される(翌年4月2日発表)。
昭和601985
11月2日 和歌山城と姉妹城提携を結ぶ。
昭和631988
3月 本丸にて発掘調査が行われ、豊臣時代大坂城の天守台石垣が発見される(6月23日発表)。
3月 昭和62年度までの累計入場者数が6000万人を越える(60,851,253人)。 
平成11989
2月13日 合区により大阪城天守閣の住所が大阪市中央区大阪城1-1となる。
3月 新鴫野橋が架け替えられる。
6月12日 大阪城天守閣所蔵の大坂夏の陣図屏風が重要文化財に指定される。
平成31991
9月17日 大阪砲兵工廠診療所跡に大阪国際平和センター(ピースおおさか)が開館する。
平成51993
3月20日 天守閣3階展示室に黄金の茶室推定復元模型が設置される。
平成71995
11月19日 APEC’95大阪会議の非公式首脳会議が、西の丸庭園に建設された大阪迎賓館にて開催される。
12月6日 大阪城天守閣「平成の大改修」が着工する。
平成81996
3月 平成7年度までの累計入場者数が7000万人を越える(70,662,485人)。
4月1日 「平成の大改修」により天守閣が閉館となる。
4月「秀吉と桃山文化―大阪城天守閣名品展―」が全国5か所にて巡回開催される(翌年1月まで)。
12月26日 大阪城天守閣が文化財保護法に基づく国宝・重要文化財等の「公開承認施設」となる。
平成91997
3月29日 「平成の大改修」が完了し開館する。埋め立てられていた東外堀が復元される。
9月3日 大阪城天守閣が国指定登録有形文化財となる。
平成111999
3月 大阪城桃園が開園する。
平成132001
4月1日 大阪城天守閣の所管が大阪市経済局から大阪市ゆとりとみどり振興局に変更される。 
平成142002
6月26日 大阪城天守閣所蔵の南蛮屏風が重要文化財に指定される。
平成182006
3月 平成17年度までの累計入場者数が8000万人を越える(80,927,997人)。
10月10日 上田城と友好城郭提携を結ぶ。
平成212009
10月2日 オーストリアのエッゲンベルグ城と友好城郭提携を結ぶ。
平成242012
12月21日 累計入場者数が9000万人に達する。
平成252013
4月1日 大阪市の組織再編にともない、大阪城天守閣の所管がゆとりとみどり振興局から経済戦略局となる。大阪市が豊臣期大坂城の石垣を一般公開する施設の整備を目標とした「太閤なにわの夢募金」の事業を開始する。
8月 大坂冬の陣(慶長19年/1614)と大坂夏の陣(慶長20年/1615)から400年となることを記念して大坂の陣400年プロジェクトを実施する(翌々年12月まで)。
平成272015
4月1日 大阪城パークマネジメント共同事業体が大阪城天守閣・大阪城公園等の指定管理者となる。
平成282016
3月31日 平成27年度の入場者数が233万7813人となり、年間入場者の記録を32年振りに更新する。
5月13日 西の丸庭園にある大阪迎賓館が予約制レストランとしてオープンする。
10月10日 大阪城・上田城友好城郭提携10周年記念式典を開催する。
平成292017
3月31日 平成28年度の入場者数が255万7394人となり、年間入場者の記録を更新する。
4月11日 フランスのブルターニュ大公城と友好城郭提携を結ぶ。
6月22日 大阪城公園駅前に複合施設JO-TERRACE OSAKAがオープンする。
10月19日 本丸内に複合施設MIRAIZA OSAKA-JOがオープンする(旧第四師団司令部庁舎、旧大阪市立博物館建物)。
9月18日 累計入場者数が1億人に達する。
10月19日~21日 フランス共和国ナント市のブルターニュ大公城およびオペラ座(グララン劇場)において、大阪城・ブルターニュ大公城友好城郭提携記念事業が開催される。
平成302018
3月31日 平成29年度の入場者数が275万4395人となり、年間入場者の記録を更新する。
4月~5月 森ノ宮エリアに飲食施設などがオープンする。
9月4日 台風21号により大阪城公園内の樹木、古建造物などに被害が出る。
平成31 令和元2019
2月23日 森ノ宮エリアに劇場型文化集客施設クールジャパンパーク大阪がオープンする。
6月28日 G20大阪サミットの夕食会が、西の丸庭園の大阪迎賓館にて開催される。
11月3日 大阪城・エッゲンベルグ城友好城郭提携10周年記念式典を開催する。
令和22020
2月29日 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため天守閣が臨時休館となる(5月19日まで)。
9月30日 大阪城天守閣所蔵の備中足守藩主木下家伝来資料13点が重要文化財に指定される。
令和32021
3月26日 名古屋市中村区役所と友好協定を結ぶ。
4月25日 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため天守閣が臨時休館となる(6月20日まで)。
11月7日 大阪城天守閣が復興90周年を迎える。