テーマ展 絶賛開催中!

ただいま開催中のテーマ展は、神君家康―「東照宮縁起絵巻」でたどる生涯―。今年が没後400年となる徳川家康に関する展示です。

今回の展示でメインとなる資料は、家康の生涯と、没後に家康が「東照大権現」として神格化される過程を描いた「東照宮縁起絵巻」です。展示を担当した学芸員に、この絵巻に描かれたある場面にまつわる興味深いエピソードを聞きました!

 

今回の展示担当の跡部主任学芸員


家康は、元和2年(1616)4月17日に亡くなりました。「東照宮縁起絵巻」では、5巻構成のうちの第3巻に、家康の亡骸と周りで嘆き悲しむ女性や家臣たちの姿が描かれています。

 

家康の死因として有名なのが「鯛の天ぷらにあたった」というもの。当時京都ではごま油で揚げた鯛の天ぷらが流行っており、京都の豪商・茶屋四郎次郎が家康に一押しメニューとして勧めたと言われています。

火の通りが悪かったのか、食材の鮮度が悪かったのか、油がしつこすぎたのか。

様々な困難に耐えながら天下を手中にした家康としてはもの悲しい最期ですが、これも本当かどうかはわからない話です。

 

死因には異説もあります。「鷹狩りの最中に家康が気を失い、気付け薬として家臣が飲ませた薬がもとで亡くなった」というものです。この時に家臣が飲ませた薬は、家康が政敵を倒すために用いていた毒薬で、家康本人が持ち歩いていた薬箪笥から出したものだったのです。この説については、オルファネールという外国人が『日本キリシタン教会史』に次のように記しています。

「彼はみずから多数の人々を殺害した方法、すなわち毒薬によって悲惨な最期をとげた」

 

家康が自分の毒薬を飲んで死亡したという話は、徳川光圀に仕えた人物で「水戸黄門」の助さんのモデルとなった、佐々介三郎宗淳の残した『十竹斎筆記』にも記載があります。佐々介三郎はこの他にも、加藤清正が家康から貰って食べた饅頭のことも記しています。

その饅頭は、何かを仕込まれたように針のようなものでズブズブにされていたとか。

加藤清正の死因には、家康が毒饅頭を食べさせたという説があります。

 

 

歴史の勝者である徳川方の視点で描かれた「東照宮縁起絵巻」では、家康臨終の場面も美しく、私にはどちらの説も当てはまらないように見えますが、皆さんはどうご覧になるでしょうか。

 

テーマ展 神君家康―「東照宮縁起絵巻」でたどる生涯―は、平成28年5月15日(日)までです。

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