秀吉は天下統一の拠点として権威と権力を象徴する難攻不落の 巨城を築いた。豪壮華麗なその姿は「三国無双」と称された。 |
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●黄金色に輝く大天守![]() |
天正11年(1583)、秀吉は石山本願寺跡に大坂城の普請(築城工事)を開始した。一般には日本のお城のシンボルは天守閣であるが、空にそびえる大天守が初めて作られたのは織田信長の安土城である。信長の後継者を自認する秀吉は、安土城をモデルとしながらも、すべての面でそれを凌駕することをめざした。 秀吉創建の大天守は外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用いた。また、秀吉は自ら好んで多くの来客に本丸内を案内してまわり、金銀の装飾にあふれた奥御殿の内部、大天守の各階に納められた財宝の山など、空前の富の集積を誇示して来訪者を驚嘆させた。 |
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| ●築城の規模 秀吉の大坂城は、本丸の築造に約1年半を費やし、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて、徐々に難攻不落の巨城に仕上げられた。また、城づくりと同時に町づくりが行われ、秀吉時代の大坂は近世城下町の先駆けとなった。 領主の邸宅である城を中心とした広大な領国の首都、そして政治・経済・軍事・文化の中心都市として城下町大坂が建設されたのである。 |
豊臣時代大坂城本丸推定復元模型 秀吉の大坂城本丸は、現在も残る徳川幕府再築のものとは堀の形状や天守の位置も全く異なり、二重三重の複雑な石垣が立体的に構築されていた。 |
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●大坂冬の陣 |
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![]() 大坂冬の陣図屏風・部分 惣構をめぐる防戦ぶりがうかがえる。 |
![]() 方広寺大仏殿の鐘銘拓本・部分 家康は銘文中の「国家安康」「君臣豊楽」の二句をとりあげ「家康の文字を分断し、豊臣を主君として楽しむとの下心がある」と難くせを付けた。 |
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●大坂夏の陣 |
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![]() 大坂夏の陣図屏風・天満橋部分 大坂城を落ち行く人々の苦難の様子が 生々しく描かれている。 |
![]() 大坂夏の陣図屏風・徳川家康本陣部分 伝令に指示を与える馬上の家康。 |
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